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大学紛争、反体制、孤独…浅川マキさん急死

 17日、ライブで訪れていた名古屋市のホテルで急死した石川県白山市(旧美川町)出身の歌手・浅川マキさん(67)は、故郷・石川でも数々のステージに立ち、多くのファンを魅了してきた。

 親交が深かった金沢市のジャズバー「もっきりや」店主の平賀正樹さん(60)は「どれだけの人が浅川さんの歌に人生を重ね、癒やされたことだろう」と話し、「アングラ歌手の女王」の突然の死を悼んだ。

 浅川さんは旧美川町役場に勤めた後、ジャズ歌手を目指し上京。1968年、劇作家の寺山修司の舞台に出演。70年に「かもめ」「夜が明けたら」などの代表曲を収録したレコード「浅川マキの世界」をヒットさせ、一躍注目を浴びた。

 東京で大学浪人生活を送っていた平賀さんも、浅川さんの歌の世界に魅せられた1人だ。故郷を離れ、夜明けの汽車で都会に出る女性の気持ちをつづった「夜が明けたら」の詩に自らの人生を重ね、夢中で聞いた。

 大学闘争のまっただ中、多くの若者が社会の矛盾に暴力的に抗議し、体制に跳ね返された時期でもあった。「孤独を好んで描いた寺山さんの世界同様、浅川さんの曲はハッピーエンドにならない。だからこそ当時の若者の気持ちにぴったり寄り添っていた」と平賀さんは語る。

 平賀さんが金沢に戻りオープンした「もっきりや」に初めて出演したのは1991年。「完璧主義者で、『電気が明るすぎる』と電球に巻くセロハンをライブ直前に買いに行かされました」。その数年後には夜10時頃、突然ライブ開催を依頼されたこともある。型にはまらないハプニングを好む人だった。

 だからなのか、01年、金沢市民芸術村のライブでは代表曲を歌わず、ファンを少々失望させた。「自分の今の歌を聴いてほしい」という信念を貫いたからだ。結局、これが故郷・石川での最後のライブとなった。

 名古屋では3日間に及ぶライブの最中での死だった。「歌に生きた浅川さんにとって最高の人生だったと思う」と平賀さんは振り返った。

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